旧サポーターズブログの記事

●ファンが愛する選手

昨日ヤクルトの選手兼監督 古田敦也さんが現役を退くということで
引退セレモニーをしてました。
皆さんご覧になりましたか?
泣きましたか。そうですか、私もです。

選手、という存在があれだけの人に愛される、ということ。

日常生活で考えたとき、
あれだけの人に愛されるということってまずありえないことですよね。
自分の周りの人にだって、数少なくても全ての人に愛されるわけじゃない。

野球というスポーツというパフォーマンスが
見てすぐ分かりやすいからこそ、
技術を磨くことで得られる感動はもちろんあり
ホームランを打てば感動、ファインプレーに感動。
逆転劇に感動。色んな感動がある。

プロであり、お金をもらってそれをしているからこそ
そこは魅せていただかないと、と思う。
技術に平均や基準はないけど、手を抜いていれば分かるし
そんなものを見たくて応援しているんじゃないからね。
そして自分にできないからこそ、
極めたパフォーマンスを魅せてくれることを期待する。
それができなければ、
その年はよくても翌シーズンは生き残れるかわかんないし
戦力外通告をされて、その先を絶たれることもある。

なぜ愛されるか。
ファンという存在は、なぜ応援するか。

普通の日常でもそうだけど、
何か起こしたアクションに反応があること
送ったものが返ってくること
そのやりとりがなければ、その人に誰もが興味を失いますよね。
ファンを大切にするという言葉があります。
大切にするってなんでしょう?
何かモノをくれたり、得することをしてくれるから?
うーん、それは違うよな。

古田さんは
ファンのこと、
もっと言えば一般の目線を普通に意識して
競技生活、選手として球界全体を見て自分の信じる道を行動してきたから
あれだけファンいるんだと思いました。

スポーツ選手という特殊な世界にいて
一般の人の目線を意識するということは
よっぽど頑張らないとできない気がします。

種目を極めるということは、精神力も体力も技術も極めるわけだから
自分自身と常に向き合っていなければならないわけで。
そこを突き詰めていかなければ
魅せるパフォーマンスはできないと思うので。
しかしそれに明け暮れて、
それを自分自身のためだけにやっていては
完全に自己満足ですよね。

前にも書いたけど、応援する人が誰もいないんだったら
それってそもそもなんなんだろう?って思うし。

誰もに愛されるということはまず難しいと思います。
それぞれに思うところがあり、信念があり、こだわりがあるから
好き嫌い、好みはあるから。

特殊な世界で生きるからこそ
その選手の信念、が私たちは見たいんだと思ってます。
普通の人にはできない世界を、共通の目線で見ることができる。
スポーツというものを通して
その人そのものを感じることが出来る。

そんな中で失ってはいけないのは自分を見る人の「目」であると。
誰もが一番にはなれない世界だからこそ
自分に何ができ、何を残せるかにこだわってほしい。
そしてその先もなにがしていけるか。

好きな選手がいるということは、
好きな人生がいくとおりもあり、
非日常として共感でき、感動をもらえることだと思う。

自転車の世界にも、
もっともっとそういう選手が増えて欲しいなと思ってます。
そんなたくさんの人生を見たいですね。