INTERVIEW

綾部勇成インタビュー

ツール・ド・ランカウイ第4ステージ「キャメロンハイランド」で劇的な勝利とリーダージャージを手にした綾部勇成選手。キャプテンとして、選手として、人として……仲間との絆、勝利までの道のり、そしてこれからへの思いを聞きました。
Interview:Nana WATARAI (Team Assistant)


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photo:Yuko SATO


-ツール・ド・ランカウイ2011を振り返って

僕のキャリアの上で新たなスタートが切れたレースになりました。今まで一回も大きなレースで勝ったことがなかったので大きいことだったと思っています。優勝の翌日からまた気持ちを切り替えて臨みました。勝った次の日が「ゲンティンハイランド」だったので、ここで遅れないようにしなくてはいう気持ちが強かったです。

キャメロンハイランドはあんまりプレッシャーは感じてなかったけれど、キャメロン自体良く知らなかったし、どこまで上れるのか?という不安も実はあった。皆(現役時代の別府監督、西谷選手、盛選手)も前回出た2006年のときのことをあまり覚えていなかったので情報も少なかった。そんな中「(2006年のときは)先頭に20人くらい残っていたような気がします」って盛が教えてくれて。自分としては「じゃあその20人には残らなきゃな」と思った。総合順位も考えて、翌日ゲンティンにいってその20人の中でどれだけ残れるかが勝負になるのかな?とレースをイメージしていた。そうしたらキャメロンで逃げ切りの集団に残れた。

勝てるという意識は全くなかったです。とりあえず今日はスプリントでもがいたらポイントを取れるチャンスがあるかなと思っていた。もう足もなかったし最後上っていたので、ここは先行するしかないと思って行ったら思いのほかすごく伸びて勝てた。いつものレースではスプリントで他のチームより先にかけるという癖(?)みたいなものがあったので、この日はそれが功を奏したのかなと思います。思い切り良くいけました。


難関山岳キャメロンハイランドを制した
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photo:Yuko SATO


翌日のゲンティンステージは、リーダーということもあり注目されているのは感じていました。だからといって俺にできることは何も変わらない、ひたすら頑張って登るしかないという思いでスタートしました。この日途中離れてしまってからはなるべくキープする走り方をしたんですけど、もっともっと我慢して、ぎりぎりまでついていったほうが良かったのか?とも思うんですよね。

上りというのは一回MAXまで行ってしまうと身体が回復せず帰ってこられなくなっちゃうんです。だからなるべくMAXにならないギリギリのところで走っていられるのが一番いい。ゲンティンはあれ以上踏んだらもうMAXな状態だったので我慢をしていこうと思った。ゆるいうちはまだ前が見えていたけれど角度がきつくなった途端に先頭はどんどん離れていった。ただゆるい上りなら自分も我慢できるということを再確認できた日でもあったと思います。

ゲンティンは本当にクライマーのスペシャリストの領域だと思う。角度もきつくなるし長い。キャメロンは長くても角度はゆるかったから耐えられた。


リーダージャージで臨んだゲンティンハイランド
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photo:Nana WATARAI


綾部に声をかけ続ける別府監督
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photo:Nana WATARAI


去年10月に「ツアー・オブ・ハイナン」が終わり、その後の「ジャパンカップ」では全然走れませんでした。1週間休みをとった後今シーズンに向けてスタートするときにはもう「ランカウイの山岳で頑張ろう」という思いを持っていた。山を登れる選手がいないと総合ではポイントがとれません。誰かが山で勝負できなければならないんです。今回は総合で15位以内に入りUCIポイントを取りたかったが残念ながら達成できなませんでした。(UCIのHC(超級)カテゴリーのレースでは総合順位15位までにUCIポイントが付与される)。

自分自身、山は不得意な方ではなかったけれど、トレーニングの仕方を変え山に対する量をかなり増やしました。スプリントや平坦を犠牲にしてでも山の練習を増やすことを意識していました。12月の沖縄合宿でも山を意識して走ったし、年末年始で実家に帰った時も山ばかり走り、ランカウイの事前合宿も……。ここで甘えたら「勝てる領域」には達しないと思った。イメージしながらこつこつと登りました。そして自分自身納得できるまでやってみたかった。本当に色んなことを我慢しましたが、特に食事に関しては相当意識して気をつけてきましたね。

キャメロンでしか勝てなかったけど結果は出たので、これまでのトレーニングの仕方は間違っていなかったのかなと思います。しかし同時にゲンティンのための準備はもっと別にあるんだろうなとも思いました。


-ランカウイでの勝利を自分自身どう受け止めていますか?

今でもまだ優勝したなっていう感覚がまだよくわからなくて(笑)。ただメールが沢山きたり、電話がかかってきて徐々に実感はわきましたね。それでもワンデーレースじゃないので勝利の余韻に浸っている暇もなく次の日もあるし、どんどん切り替えていかなきゃというのもありました。でもやっぱりすごく嬉しかった。「あの勝ち方が自分の勝ち方なのかな」と毎日思いながら、次の日からのレースにトライしていきました。

ゴールの時は本当に勝ったかどうか分からなかったんです。でも写真を見るとフィニッシュラインを過ぎてすぐにガッツポーズをしてるので「俺反応早いな(笑)」と思いました。自分の中では「やべぇガッツポーズしなくちゃ」と思ってしたから随分遅れたと思ったんですけど、よく見たらちゃんとやってましたね(笑)。ただその後チームメイトもスタッフもいなかったから一体誰と喜んだらいいんだか分らなかった(笑)


ゴール直後の綾部選手
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photo:Yuko SATO


綾部の勝利を喜ぶ鈴木謙一選手
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photo:Nana WATARAI


謙一がゴールした瞬間に謙一見つけた!と思って「謙一!勝ったぞ!」って言ったら「えーっ!?ハンパねぇ!」って(笑)。その後すぐ西谷が来て・・・やっぱりびっくりもしたみたいで、「えーーーーーーっ」って言ってました(笑)。西谷とはずっと一緒に苦労してきました。西谷は結構勝ってきたけど自分は全然勝てなかったから、あいつにはちゃんと伝えたかったんです。あいつもすごく喜んでくれたので嬉しかったですね。この時がやっと、自分のチームの仲間と喜べるっていう最高の時間でしたね。

その後表彰台の裏にいる時に別府さんが来てくれました。いきなり別府さんが「勝ったなぁ!準備してきて良かったな」って声を掛けてくれて……どうなったかは映像をどこかで見てもらえれば分かるんですが……(照れ笑い)。
シクロチャンネル:ツール・ド・ランカウイ第4ステージハイライト


別府さんとはワタナベレーシングから始まり、フランスにいた時も一緒に住んでいたし一緒に苦労して走ってきた。その後別府さんが愛三に入り僕はミヤタ(当時のミヤタスバル)で走っていた。別府さんがツアーオブジャパン奈良ステージで勝った時に電話をくれたんです。その時自分は背骨が折れてて全然走れるような状況じゃなかったから、勝てて良かったというのと自分のことをずっと気にかけてくれてたっていうのが嬉しくて……。


別府監督と勝利を喜び合う
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photo:Nana WATARAI


喜びが溢れる表彰台
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photo:Yuko SATO


リーダージャージ!
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photo:Nana WATARAI


その後自分も愛三に入ってそこからまた同じチームで走ってきた。僕が入った2006年に愛三はコンチネンタル登録をして、まだまだ発展途上だったチームを西谷、盛、田中さん、別府さん達と一緒に作り上げてきた。今は別府さんが監督、自分はキャプテンという立場で走っている。なんかこう色んなことを思い出して「あぁ自分はこの人とずっと一緒にやってきたんだな」って思ったら……。

今回のために準備をさせてくれたチームにはとても感謝しています。田中(総監督)さんにはランカウイへの思いを話し、とても理解をしてもらっていた。優勝した日は第2チームカーを運転していたのでかなり後になって駆け付けてくれました。ものすごく喜んでくれた姿を見て自分もますます嬉しくなりました。田中さんにはずっと「綾部、勝とうな」って言われていて、でも本当に全然勝てなくて・・・。今回田中さんと別府さん2人がいるところで勝てて本当に嬉しかったです。


-キャプテンになって今年3年目。自分自身の勝利と、チームへの思い

チームのキャプテンとして走ると決めた年は色んなことを考えて田中さん(当時の監督)とかなり相談しました。意識が低いと感じた時には選手に厳しく言ったりもしました。でも厳しく言うからには自分もしっかりしなくちゃいけないとも思ってきました。

愛三の場合、スプリントは西谷や盛が教えられます。今回のランカウイでは、自分が(平坦部隊から)離れても大丈夫かなと思いました。それと謙一(鈴木)にも山を頑張ってもらいたいという思いがあった。今回いい結果は出なかったけれど、これから先謙一が山を頑張る時が絶対に来る。だから二人で山を練習することで責任感も生まれると思いました。


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photo:Yuko SATO


第1ステージから毎日チームでステージ優勝を狙い、山岳の後もステージ優勝、そして区間8位まで獲得できるUCIポイントにチャレンジしました。最終日も3人でしたが優勝を取る気満々だった。しかしラストは前が詰まってうまく抜け出せなくて9位でした。自分自身は位置取りなどを真平に教えたいと思っていました。真平は素直に聞いてそれをすぐに実行できる選手なので、どんどん経験を積み重ねていって欲しいですね。
今年から加入してくる中島、伊藤、木守ともこれから一緒に練習をしていきますが、レースを走っていく中で選手たちに責任感が生まれ意識改革が起きれば、おのずと皆がいい方向に向かっていくと思っています。


ランカウイでは自分たちがリーダーチームとして走るという数少ない経験ができました。今回得た経験をまた違うところで発揮してほしい。今度は誰かが勝って、リーダーになって、自分もリーダーチームとしての走りを経験させてほしいなと思います。

一番でい続けることはとても難しいこと。それには本当に経験が必要です。少ないチャンスをものにしていかなければならないから、集中力だったりレースに対する強い思い、そういう気持ちの面もとても大事になってきます。

まずは最初のステージがとても肝心で自分たちの意思表示を初日にしっかり示すことが大切です。それをすることで自分たちに有利に働くこともあるし、長いレースの中ではとても重要になってきます。去年も西谷が第4ステージで勝ちましたが、その日だけの話しではなく、第1から第3ステージまでのトライが結びついた結果。それは、ヨーロッパの選手相手だからということではなく、彼らだって同じギアで乗っているわけで出せるスピードが全く違うというわけではない。持続できる時間に違いはあってもね。だからもっともっと練習を積むことでもより対等に戦えるかなと思っています。

今回参加していたヨーロッパのプロチームと一緒に走れたのは本当に貴重な機会だし、総合優勝をしたAndoroni Giocatoliや10ステージ中5勝もしたFarnese Viniなど、戦い方などもすごく勉強になりました。そんな戦いをアジアでできる、それが本当に大事だと思っています。
これからしばらくはHCではなく2クラスのレースが続きますが、勝つ難しさはどんなレースでも変わらない。満足せず勝ちに拘り、リーダージャージを守れる日をどんどん長くしていければと思います。


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photo:Yuko SATO


-ところで今、すごくしたいことありますか?

うーん。何だろう。特にはないかなぁ・・・。我慢しなくていいっていうのが嬉しいなぁ。特に食事はすごい気をつけて我慢もしていたから・・・。あ、唐揚弁当は食べたいかな(笑)?


-最後にこれからの目標を聞かせてください

自分もチームも変えたい!そういう強い思いが一番にあった。ランカウイでその第一歩は達成できたかな?これに奢ることなくこれからも頑張りたいです。今後の目標は・・・ここまできたのでやっぱり全日本勝ちたいですね。いつかは全日本ジャージ着たいっていうのもありますね。2009年に西谷がチャンピオンジャージを着ているのを見て、なんかいいな、と思ったんです。良くないですか?あれ着て1年走れたら引退してもいいかも(笑)


最後に…。
チームの仲間やスタッフ、スポンサーの方々、そして沢山のファンの皆さんの支えがあったからここまで来れました。本当に感謝しています。去年の11月から3か月間、自分の中での短いシーズンが終わった感じもありますが(笑)、今シーズン始まったばかり。これからもまだまだ頑張りますのでよろしくお願いします!!!

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