旧サポーターズブログの記事

【インタビュー】 田中光輝監督

        田中光輝 監督 mitsuteru TANAKA


今回の合宿では、ほどんどを選手と一緒に走った田中さん。
昨年10月の飯田が、選手としては最後のレースで
3ヵ月半のブランクを埋めながら、監督として選手を見ていました。

田中監督!って呼ぶと
こっちのブログでは「アレでお願い」っていうんで
呼び方、アレでいかせていただきますね〜。


管理人
さて、ジョニー。
頑張って走りましたね・・・。お疲れ様です。


ジョニー ←(田中監督のニックネームだよ。みんな呼んでね)
3ヶ月半ブランクがあったんだけど、あえて今回は選手と一緒に走った。
その理由は、もう一度選手の気持ちを再認識したかったから。
足あわせに近いこの時期なんで、まだ一緒に走れるかなと・・・。
でも次の合宿からは、監督として車の中から選手を見ていくよ。


昨年まで現役選手として走って、今年は監督。
どんな監督になっていきたいか、という理想はありますか?

ジョニー
やっぱり一番は、いつでも選手のことを把握している存在だということ。
最後の飯田のレースを終えてから今日までは
「監督」モードに切り替えてマネージメント的なことをやってきたけど、
やっぱり選手時代に感じていた
「こうして欲しい」「これを望んでいる」っていう気持ちを
だんだん忘れてきちゃうんだよね。
自分は走る選手がストレスなく言わなくても求めているものが分かる
近い存在でいたいと思ってます。


今年からの愛三レーシングは、メンバーもガラリと変わって
ずいぶん若返りましたが、ジョニーからみてどうですか?

ジョニー
去年のツールド北海道を転機に、今のチームの土台ができたと思う。
それほどあの北海道は大きかった。
新しい選手も入って、今の愛三レーシングの顔ぶれを見ていると
不安よりも、楽しみや期待感のが大きい感じかな。


監督として選手に望むことは?

ジョニー
やはり選手である以上、強さを求めるけれど
お互いが刺激しあって伸びあえる、そういう強さを身に付けてほしい。
新しく入った選手にも、お互いに刺激しあってほしいし
メンバー全員がそういう気持ちでいてほしいと思う。

今年のチームの目指すところは?

ジョニー
2007年は、3月のツールド台湾を皮切りに
アジアツアーをメインに戦っていきます。
今年の愛三もやりますよ!ぜひ応援お願いします!!


・・・

高校時代、自転車競技を始めたジョニーは
「強くなければ選手じゃない!」という強い信念を発揮し
強くなって、国体優勝まで成し遂げたけれど
高校卒業で自転車はやめようと思っていたんだそうです。
でも、誘いのあった愛三に入社して自転車を続け、
長い長い競技生活が始まったのです。
最後の一年しか活躍を見てないのが残念でたまりません。

そんなジョニーの最初の印象は「おちゃめな人」
そのおおらかさで、キャプテンとしてチームを引っ張っている印象でした。
これからは、ユーモアと厳しさとの両方を備えた監督として
選手たちを導いていくことでしょう。

田中光輝(たなか みつてる)

昭和46年(1971年)生まれ
岐阜出身 岐阜南工業高等学校卒業
平成元年(1989年)全日本選手権4000m団体で追い抜き1位
平成4年(1992年)全日本選手権個人ロードレースで1位を獲得
この年、個人ロードレースでバルセロナオリンピックにも出場


ジョニーのインタビューは、これからも節目節目で登場します。
お楽しみに!


 サングラスが片方ないよ!
砂浜で見事転んでぱっくりしてしまったおちゃめなジョニー